ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

ジェンダー問題がまた一歩進んでいる

能町さんの「そのへんをどのように受け止めてらっしゃるのか」や

バービーさんの「本音の置き場所」などを

この年末年始に、ふふふとほくそ笑みながら読んでいた。

こういうエッセイ本が大好物のわたしだ。

切れ味鋭くウィットに富んでいる彼女らのようなエッセイを読むと、

一種にストレス発散になる。痛快さを味合わせてくれる。

ジェンダーについて、結婚について、差別や、性的同意について

言いたいことをうまく表現してくれる人が増えてきたなと思う。

 

今回は性別について彼女らの本や対談に、また新たな進歩をみた。

それは、いよいよ性別で分けるのをもうやめようよ、と言い始めている。

有名人が生まれたわが子の性別を発表しないという。

理由は大きくなったら自分で決めるものだから、らしい。

考えもしなかった!ここまできたか。

いいぞ、いいぞ、と思う。

 

ただ性別はどう扱えば正解か、については私の中でも答えはない。

性別で分けるのやめよう≒性別には役割があるけど役割自体なくそう

なのか、性別の役割の男女の振り分けをやめようなのか

どこを目指しているのかも、よくわからない。

それこそ、いよいよ、それも自由にやろうよ、やればいいじゃん、

ということかもしれない。

 

ことジェンダーに関してのわたしの関心は、世の中の大事な意思決定をする立場の人、地位のある人の女性の割合が少なすぎると思っている。数さえ増やせば良い方向に世の中は変わるだろうに、という根も葉もない信念がある。

今の世の中、特に日本は、政治家も会社役員もエライやつらはじじいばかりである。

うちの会社もそう、アイドルプロデューサーでさえも。

日本はおっさんが動かしていると言って過言じゃない。

おじさんが支配する世の中に「平等」なんておとずれる気がしないんだ。

 

 

性別を分けないことから、自称女の社会進出が進んでいないことの解決になっていくだろうか。

 

いずみん@じじい嫌いのばばあのつぶやき