ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

おっさんずラブについて

また不毛にもおっさんずラブを見てしまった。

そうすると、頭の中にスキマスイッチが流れはじめるのだ。

おっさんずラブにはまったよ」と素直に公言するのは難しい。こんなに良いドラマだけど話題にするのはちょっと難しい。

そういうわけで日記に綴るのにちょうどよいネタということになる。

まず自分に腐女子要素があったことの新鮮さと、オバサン化を自覚せざるをえない。

何度もみてしまう理由は林遣都を見たいからに他ならない。

彼がなぜよいのか研究対象にしたくなる。

まずは、日常に不足しがちな見目麗しい(見た目の美しい)ものの鑑賞と純粋さを求めているのだと思う。

それは日常が聡明でベテランのこずるい大人(おじさん、老人)ばかりであるからだろうと思う。

同性愛というのはピュアさが際立つ。世間体とか体裁とか見栄がないからだ。

そしてあの世界観で林遣都が活きるのは、設定の奇抜さがあるからこそだと思う。

おっさんずラブ自体は終始全般コメディで奇抜だと感じる。その理由は、普通はカミングアウトできない苦悩とか常識とのギャップに苦しむ、というテーマになりがちだが、これは違う。あんなにゲイ率が高い会社もないし、その受け入れ体制も出来上がっていて、驚くほどスムーズだ。すなわち同性愛が普通にあることが前提となっている世界観だ。理解ある女性陣とかの発言に惚れ惚れするし、何といっても吉田鋼太郎がやりきってくれているので、ただただ終始ほほえましい。

しかし林遣都だけ少し浮いている。そういうほのぼのとした設定の中でも

彼の部分だけ「マジ」なのだ。

コメディの中にマジがある。それが林遣都の存在。

不器用にそこにたたずんでいて、まっすぐその役になりきっている。

 

なんかそういうのにぐっときたよ、林遣都!グッドジョブ!といいたい。

 

しかし、このドラマは終始笑えたことには違いないのだが、同性愛者への偏見を逆照射してみせている部分だってあったのだと思うが、それはどうなのだろう。

「お前が俺をシンデレラにしたんだーー」とか、笑ってしまうのだが。

無意識の偏見がある上でおもしろがっているとしたら。とか、少しセンシティブ?

 

これが人気を博してちょっとした社会現象にさえなったことについて

 同性愛者当人はどのようにみていたのか、についても少し興味がわいた。