ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

【連載小説】女友達 第3話(最終回)

わたしは彼女に友達ではなく、家族というカテゴリを押し付けた。家族は、相手がいかにダメな人間であろうが、価値観が違っても成立する。そのような位置づけであり、友情とは真逆なのだ。しかし、わたしはそのことにも無自覚だった。
「家族だと思えば、なんでも話せるでしょう。遠慮なく頼れるでしょう。姉さんだと思って。」
他意のない、なんなら家族と言われて、これ以上の親しみの表明があるか、気恥ずかしいけど言っちゃったよ、という自己陶酔すら帯びていた。
彼女はわたしの力をかりて自立したかったはずである。彼女の心の奥底の真の望みをわたしは知らない。しかし、わたしと彼女の関係の中にある彼女は、自立を求めていたと思っていた。思いたかった。彼女の周辺で時々発生したトラブルは、弱みや依存につけこまれるもので一緒に悔しがった。自立をすればきっと、何かが変わると。

彼女は最終的に、同業者の再婚した旦那さんのお店を共に切り盛りしていく道を選んだ。不倫関係みたいな暴力彼氏でもないし、セックスの相性が悪いという理由で別れた元夫のような人でもない。やっとちゃんと愛せるパートナーを手に入れて、彼のお店を手伝っていきたいという選択に、何の異論もない。何も言い返さなかった。居場所が見つかってよかったね、と心から思うようにした。同時に、もう今度こそわたしとは関係のないところで生きてください。冷静に、静かに、強くそう思ったのだ。そう思うことで自分の気持ちも守ろうとした。頼りない妹は、自分の道をみつけて歩いて行った。

きらぼし銀行自由が丘支店のATMで通帳記帳をした。残高1,132円で二〇二一年五月以降の取引は記帳されていなかった。ATM機のすぐ横にある明細を捨てる細い長方形の穴になっているごみ箱に、そっと通帳を押し込んだ。
今日は一二月三〇日。夫は鉄道写真を撮りに一人で出かけて行ったので、わたしは一人自由が丘にきた。お気に入りの雑貨屋めぐり、地味に骨董品を探す。江戸中期くらいの青い絵皿は、お正月にかまぼこやごまめやきんときを少しずつ盛り付けるのにちょうどよく、ついつい一つずつ絵柄の違うものを買い足してしまう。いつもの年末。異常に晴れて澄み切った青空が広がっている。年末には時々こういう日があるなと思う。自由が丘の人通りが多い狭いバス通りを、バスが信じられない大きさで通り過ぎていく。歩いている人のすれすれを走らせるバスの運転手の技術はすごいと思いながら、毎回どきどきするのだった。
「今日の夜は、さくで買ったマグロの中トロときりたんぽ鍋ね」
ショートメールを打った。夜の予定を打ち合わせて夫とわたしはそれぞれの年末を過ごす。
自立ってなんだろうね。
友情ってなんだろうね。
友達のありがたさをまだよく知らない四五歳のわたしは、今日も自由が丘を一人ほっつき歩いて家に帰る。