ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

バチェラー4みて力説する人

先日、最後の親知らずを抜いた。最後の一番厄介な横になってる親知らず。

痛みに耐える時間が長い。

それなりに痛み止めを服用すると、ぼんやりしてしまう。

痛みに耐えている時間はやることがない。

そんな時に、先日通しで見直したバチェラー4について悶々と考えていた。

バチェラーシリーズは、くだらないと思いつつも面白がってみている口だ。

しかしこのシリーズ4は遺恨が残った。

なので二回目、今度は一言一言丁寧に人が話しているのを聞いてみたくなったのだ。

 

基本的に全員、売名のためか、お姫様生活にあこがれて参加しているだけ

だと思っている。本気でこれによって結婚したい人なんてほとんどいないと思うけど

結婚できてもラッキーくらいのなし崩しはあるかもしれない。

 

残り3人まで残ったのに元カレが忘れられないという理由で

脱落した女の子がいた。ここにくるまで、その気持ちに気づかなかったと。

またまたーと完全に疑っている。

恐らくバチェラーのことがタイプじゃなかったか

好きになれなかっただけだと想像する。それは誠に仕方がないこと。

好きじゃない人に好きだと迫られることほど嫌で恐怖なことはない。

それに耐えられなくなったのだろう。

脱落する寸前までは好きだったということだが、引っ込みがつかなかったのでは。

別にバチェラーそんなにタイプじゃない、って言ってもいいと思うが。

このゴージャス生活への未練やTVショーに関わる影響を考慮した上の理由だろう。

 

一人、ダンスがうまいアメリカ在住の医者という女の子がいた。

とても不思議な雰囲気をまとっていた。

医者になるくらい頭がよかったら

バチェラーなんて恥ずかしくて出られないか、

または出る必要性も感じられない。

美しい人だからもてるだろうし、玉の輿ねらいも必要ない。

そうなると残る動機は、なんだか出てみたかった、だ。

テレビに出たいとか、人に見られたいとか。

しかしね、それも立派な理由だと思っているのです。

結婚も経済力も関係ない、20歳代の美しい女性なんて

ただただドレスを着て、美しくなって誰かにみられたい、そんなもんだ。

妖艶なダンスを踊っていたけれど、そんな素敵なパフォーマンスがあるなら

なおさらだと思う。

彼女は結構いいところまで残っていたものの、二人きりのデートもなく

脱落していった。

最後の別れ際にバチェラーは何かを言おうとしたけれど

彼女は手のひらを彼に向けて拒絶のジェスチャーを示して

理由は聞きません、というようなことを言って去っていった。

彼女の怒りは、まだ土俵にもあがっていないのに

落とす判断をされたことではないかと想像する。

知的な女性に対して、それは大変残念で屈辱的だっただろうと想像する。

そしてやっぱりあなたのように医者で海外に住めるような女性が

参加するようなイベントではないだなと改めて思ったよ。

 

今回、遺恨に残ったこととは、「キス」や「お泊り」が

バチェラーという枠組みで、ありかなしかということではないかと思う。

もちろん番組的には「あり」なのでしょう。

ルールを設けているわけでもないし、TVショーですから

全部ショーだと考えてみれば成り立っていると思います。

しかし、一般社会的な枠組みで公然と認められないことだとは思う。

一見、この行為はハラスメントに近い。

一人の王子様をめぐる争奪戦という設定では、圧倒的に王子様にはパワーがある。

彼に気に入られなければ落とされる(仕事を失う)というリスクの中で

あの行為は残念ながら合意の上での純粋な恋心からくるものではなく・・

と解釈できなくもない。

だからこそ、気を付けないといけないのに。

バチェラーの言い分は

「バチェラーという限られた短い期間で、後悔なく誰かを選ばなければ

ならなかった。その人といる時間は、その人だけと向き合う。」

という主旨だった。

これに、他の女性も納得していた人もいたし、MCの一人も

ずいぶんと絶賛していた。

「頭がいい。言い方がうまい。」というようなことだったが。

この行為をめぐって、不信感漂ったり傷ついたり、

一人帰ったり、いろいろあるのだが。

そもそもだけど、デートに誘われてついていったら

海辺に泡だらけのジャグジーがあって、

まずそこに二人で入れというのが拷問では(?)

集団催眠という異常な精神状態という可能性もありますか。

一種、この人を好きにならなければならないという強迫観念とか

暗示にかかった状態。それをTVショーとして見ている私たち。

トゥルーマンショー的な、それを娯楽として楽しむ視聴側の異様さ。

 

一人の社会学者のこれまた不思議な雰囲気の女の子もいたが、

是非参加側の当事者として、集団暗示の有無や一般社会への外挿可能性について

考察してほしいです。

 

この話、どうやらわたしにオチがなさそうだ。

必死に人を好きになって、その人を振り向かせたいとき

人は捨て身になってなんでもやるだろう。

思い当たる節がないわけでもない。

でもその気持ちを利用してエンタメにしたり、ハラスメントを容認していては

なんだかいびつなディストピアの一員になってるようで怖くなる。

 

まだ終わらない、わたしのバチェラーへの考察。

もう一つの違和感が分かった気がしたからだ。

今度はモラルとは逆かもしれないが

セックス抜きにして結婚を目指すということの違和感について。

(自由恋愛下においてという前提)

そもそも男と女が結びつくということに、セックス抜きにしていいのだろうか。

ここでは、セックス必須と言っているのではなく

男女の合意形成のプロセスを問題としています。

結婚を前提に考えると、と何度も言うけれど結婚を前提に相手を選んでいいのか。

「付き合う人は結婚を前提にしか考えられない。」

という人もいるが、これが最も誠実な恋愛のはじめ方だと思う。

つまり「付き合う」というプロセスが抜けている。

したがって、一旦バチェラーに参加した女性は

全員俺のカノジョ、というスタンスをとっていると考えれば

キスもお泊りもセックスもありだということにならないだろうか。

 

一人、少しおバカなキャラの女の子がいた。

彼女はバチェラーに「一夫多妻制の人なの?」みたいな

質問をしていて、その時はなんだか場違いな質問だと感じたが

これはある意味で核心をついていた。

一夫多妻ではないのだが

このバチェラーやっている間、というのは「全員俺のカノジョ」なのだ。

10数名の人と同時に付き合って浮気あり

という設定からはじめている、と解釈するとどうだろうか。

だんだんわたしの落としどころに向かっています。

そうすると、最初にバチェラーとジャグジーで濃厚キスをして

部屋に連れていかれて一晩共にしたって別にいいじゃないか、となれる。

それに耐えられない人は帰っていく。

 

フェアーではない。

あえてそういう世界を作って

暗示もかけながら

箱庭実験みたいなことをやっているんですかね。

 

さて、わたしのバチェラーの出発点

「どーせ、全員有名人になりたくて売名行為で参加しているだけ。

誰も本気で結婚したいとか思ってないし

自分の価値がどれほどか試す格好の機会として出演している。」

これが大きく揺らぐことはなかった。

 

しかし納得がいかなかったり、ちょっと心配になるようなことも

多々あった。傷ついている子をみて何かかける言葉はないか考えていた。

新しいルールが必要か、とか

これを続けて大丈夫か?なんて

求められていないことを一生懸命検討してしまったわたしであった。

 

(したがって、バチェラーに最後まで残ってしまっている人って

わたしからするとだけど、結構イタイ人ということになる。

でも、ものすごい祝福受けたり、トロフィー的名誉?が待っているようなので

それはそれでおめでとうございますって感じでいいのだろう。

ここまで苦労したわりに

ちょっと見栄えのいい浮気がちな彼氏ができた、くらいだというのに。)

 

以上