ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

【読書感想】生きてるだけで、愛/本谷有希子/新潮文庫

ダチョウ倶楽部上島竜兵さんが亡くなったニュースが流れている。

いつも気になるのは、そうなる前に、精神科のお医者さんにかかっていたか

どうかということだ。

そういうことに全く触れられていないので

恐らくかかってなかったのだろうと推察する。

全くの持論だけど、自殺ををする人にはなんらかの性格の特徴や

陥りやすい精神状態の特徴が元々、ほとんど生まれ持った性質のように

あるのではないかと思っている。

よって簡単に変えることはできないし、改善することでもない。

だからそれを知って対処していくしかないと思うのだ。

そのためには、もっと心理カウンセリングが身近でなければならない。

いまだに心の病を責任論にしがちな日本の風潮は変わってないし。

日本の精神医学学会は何をやっているんだ!!(よく知らんが)

とか、怒りの矛先をそっちに向けてしまうわたし。

その活動の怠慢だとあえて言うよ!!

 

よく知らない専門領域なので、

「精神 医学 学会 自殺研究」でググってみたら一番にでてきたのは、

【自殺対策に関する声明 - 公益社団法人 日本精神神経学会

2015年の声明のようだ。なんと古い。。

 

日本は自殺や鬱の研究をもっとすべきですよ。(現状よくわかってませんが)

そこで、「精神 医学 自殺 コホート研究」で検索すると

コホート研究による子どもの自殺関連因子と予測因子の解明】

かなり求めているイメージに近い。

「自殺の予兆を捉えるエビデンスに基づく指標とその後の対応指針の策定の根拠となる研究が必要である」

その通りだ!しかし子どもに限定せずにやってほしいなあ。

また、

【婚姻状況と自殺リスク】

【飲酒と自殺リスク】

とかがヒットして連なるが、こんなの因果関係あるに決まってるしなんか古いな

と素人のわたしでも思わざるをえない。

 

とにかく、こういう悲しいニュースを、ただただ憶測の原因推測で

ネットをにぎわすのではなくて

精神病に関する対処と知識がもっと普及する機会とすべきと思ってます。

(まじめかわたし)

 

ちょうど、鬱病症状をもった25歳の女性を主人公にした

「生きてるだけで、愛」を読了したばかりで

彼女の挙動や発言を読んで「鬱」ってこういう症状なのかなあ

などと興味を抱いていたところだったので、よりタイムリーだ。

改めて鬱の人ってどんな人かよくわかっていないことを認識した。

 

若い鬱に入っている、なんだか激しい性格の主人公ヤスコ

一人称の呼び方は「あたし」

少し苦手なタイプだ。

とにかく、はげしく、狂おしく、わがままに

世の中に相反して、成り行き出会ったツナキと同棲して

養ってもらっている状態。

元彼女が出てきたり

ヤンキー一家が営むイタリアンレストランでバイトしてみたり

最後は雪の中マンションの屋上で?裸になってツナキと対峙したり。

こういう鬱のなり方があるのかなあ、と自分の中の事例となった。

しかし、この本の巻末の解説にかなり救われました。

解釈を与えてもらったというか、腑に落ちる。

自己完結した人間の恋愛について書いているものなのだと。

なるほど。

本谷有希子の作品には、小説・劇作を問わず、思い込みが激しい激情型・メンヘル型の女が暴走するというシチュエーションがしばしばみられる。だがこれは、単なる自虐ネタではない。自己完結だろうが二者完結だろうが、相田みつを的世界における家族的完結だろうが、とにかく内に向かって完結しようとするダイナミズムに対する破壊的な逆行なのだ。自意識過剰で自己完結しがちだからこそ、ヤスコはときおり奇行によって心のバランスをとらなければならなくなる。」

 

つまり、彼女は必死に生きているタイプの鬱だし

わたしのような平凡な人間は、完全に自意識過剰の自己完結型人間ということだ。

 

以上の解釈は極一部だが

こういうことをしっかり演劇的な作品の中で普遍化することができる

本谷有希子さんの才能に敬意しかない。

 

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いずみん@生きてるだけで愛、ですよ