ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

軽井沢生活「蕎麦」が日常を占める割合

今日は、猿が我が家の屋根を歩いて通っていった。
ねずみが走り回るのとは違う重量感のある足音。
うちには猫がいるので、猫が力強く走っているのかな~と思っていたら
猫たちも少し殺気だって、1階と2階を行ったり来たりしている。
バルコニーのほうをみると
うちの屋根から電線を伝って近くの木に飛び移る猿を目撃。

「あら~、おさるさん、お久しぶり」

もはやそんなに珍しい光景ではない。
というのは、この辺にいると普通に猿やカモシカには遭遇する。
ほどなくすると、猿パトロールがやってくる(恐らく村役場の担当者)
彼らはどうやら猿の群れの動きを把握、管理しているらしく(GPSか何かで?)
別荘地に居座らないように
ビービー弾を打って威嚇して人が住んでいる住宅から離れるように誘導する。
大人が大人げなくビービー弾を罪のない猿に向かって連射する光景に
シュールさと複雑な気持ちを抱えながらも
人間の生活を守ってくれているありがたさを噛み締めてもいる。
本当に猿がいるな~と思ってから10分以内くらいにきてくれるので
なんだかとても安心だ。ありがたい。
私たちは、「今、あっちにいきましたー」
と、猿の行動を通報して、市民の義務を果たす。

 

東京と軽井沢の一番の違いは、

・涼しいこと
・山が近くにあること

・温泉が気軽に行けること
と、前の日記に書いたが、ざっくり書きすぎた。
細かくはいろんな違いがあるのでした。

野生動物に遭遇する、もそのひとつ。

そしてもう一つが今日の本題、「蕎麦」が日常を占める割合。

こちらに移ると蕎麦をむさぼるように欲してしまうという事実。

そばという食べ物についてうまく書いてるなと思ったのは

片桐はいりさんのエッセイ集、わたしのマトカの一節。

「蕎麦は幻のような食べ物である。まるで砂漠の逃げ水だ。あのつかみどころのない美味しさ。説明不可能な味わい。それは、蕎麦のそばで暮らしたことのない人にはけして理解できないものだろう。極めて地域限定の感受性である。もしかすると、海を越えた日本人は、蕎麦そのものの味わいより、そんな言葉にならない感覚を恋しく思うのかもしれない。スタンド・バイ・ミー。ただそばにいてほしい。」

 

蕎麦は水である。

蕎麦の美味しさを表現したもっとも優れた一節だと思っている。

 

だから説明はしないが、私たちが軽井沢にきてすぐにいただいた蕎麦は

志な乃さんの相盛り蕎麦(さらしな蕎麦とおらが蕎麦の盛り)1300円

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説明不要なおいしさです。

 

追分そば茶家の温かい天ぷらそば 1180円(コスパよし)

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国道沿いのこういう光景にときめくのはなんでしょうか。

 

 

いずみん@今シーズン何度行くことになるやら