ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

【読書感想】家族終了/酒井順子/集英社文庫

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家族に「普通」はありません。

背表紙の帯に書かれたこの言葉。

このことにもっと早く気づいていたら、もう少しうまくいったのだろうか。

選択を変えただろうか。

わたしには、ちょっとした心の闇がある。

 

わたしと酒井順子さんの基本スタンスはほぼ一緒。(おこがましいことに)

わたしは40代、酒井順子さんは50代で少し先輩ではあるけれど

同じように事実婚という形をとっているし、家族を従来型に形成することにこだわりがない。

しかしここに至る経緯は全く違うと言っていい。

やっぱりクレバーさの違いというか、かなわないというか。

この本は日本の家族問題を独自の視点で考察し、ご自身の経験とともに

その変容ぶりを鋭く切り取って、時に笑わせ、読んでいて痛快感さえある。

いつもありがとう、先輩。

オリーブの罠にかかり、アンアンの嘘にもすっかりはまったわたしにとって、あこがれの先輩。(ユーミンの罪は熟読中。)

 

先日の参院選自民党の圧勝で、家族の新しい形や多様性への対応がまた遠ざかった感があってがっかりしたが・・。

 

彼女はご家族を全員亡くされ、家族終了を目の当たりにしてこの本を書くに至ったということだ。彼女の家族観はいたってドライで、家族が終了したからといって悲壮感がなく痛痒を感じていない、という。

彼女は母や祖母などから、期待していた愛情を受けることができずに、少なからず傷ついていることがうかがえる。

わたしは家族、両親からはToo muchな愛情と締め付けを存分に受けて、まずは幼少期を過ごした。

そして彼女は生涯法律婚をせずに事実婚状態を継続しているようだが

わたしは一度法律婚をして、見事に脱落している。

「やってみなくちゃわからない」

チャレンジ精神にあふれているようで予測能力が低い私

「やってみなくてもちょっと考えれば分かるだろ」

という知能派との違いというわけだ。

しかし、わたしは離婚してもなお、自分の結婚への不適合性にしばらく気づけず、このバツイチによって人の道を全うに歩けなくなる、嫁失格、人間失格の烙印を押されたに等しいと思いつめ、傷ついていた。離婚を周囲に悟られたくなくて旧姓に戻すこともできず、今も縁もゆかりもない苗字を使用しているのが時々情けなくなる。

独身を貫くキャリアウーマンになるんだなんて20代のわたしは思ってもいなかった。

そもそも4流大しか出てなくて、やりたいこともなく、適当にITバブルに乗って就職したIT企業で働いたとて、一生一人でやっていくというほどこだわりも力も能力もなかった。

 

この本のすごいところはこうやって淡々と自分を振り返って、この本のように自分語りを誘導されるところか。

 

とにかく、ここ(現在の事実婚夫との穏やかな生活)に至る道のりは全く違うが、至った結論は同じだと思いたい。

わたしは離婚した後にいろいろと知ることになる、悟ることになる。

やらないで分かっていた酒井さんとは大違いなのだ。

 

わたしの結婚感としては、結婚という制度は、人間が未熟ゆえにそれを補う契約制度を設けた一法律だということ。あとはとにかく結婚制度というのは、役割が明確で説明も不要で摩擦も少ない合理的制度、ということになるのだろうか。乗っかっておけば楽で幸せな生活が待っている、と思っていた26歳の自分。

26歳で結婚したのは周りを見渡してもかなり早いほうだった。

少し本音をいうと生育家族から距離を置きたかった、あと恋愛とかがとてつもなく面倒に思えて、早く身を固めたかった。

 

とにかく役割が明確な家族制度の合理性を享受しながら

やっぱり自由でありのままの自分でいたいは両立できないのであった。

 

わたしはそれなりに楽しく自由に仕事もして嫁も務めていたつもりだったが、夫とその両親からはそうは思われていなかった。

どうやら務まっていると思っていた嫁の役割を果たしていないと見なされ、前夫とその両親総意で嫁失格の烙印を押されたらしかった。

そうはいっても大きなミスも犯していないので、話し合ってこれからすり合わせるとか、あるだろうと思っていたのだ。結婚って契約だから、そんなに簡単に解消できるもんじゃないだろうと。そういう価値観の違いも凌駕して、つなぎとめてくれるものだと思っていたが、それもお門違いだったのだ。

わたしってとことん馬鹿なのだ。

 

前夫の家族のことはめったに思い出さないし、一度、今住んでいる町からも出て行ってほしいとも言われたことがあるが、離婚を承諾する以外の要望は受け入れがたかったので丁寧に拒絶して当時と同じ場所に住み続けている(どんだけ嫌われてんだ・・)。また前夫に言われた最後の言葉だったと思う、

「会えてよかった。結婚も後悔はしていない。できれば友達に戻りたい」

こうなってしまうとわたしは結婚に後悔してないとは言えないんだよなー--。

いい経験をした、社会勉強になった、と割り切るには背負う傷が大きかった。

ただ、離婚を決断してくれたことには(自分ではできない決断だったので)結果的に感謝しなければならない。

 

さて、家族を形成することは全く否定していない。

新たな家族の形を許容すべし、とのこの本の結論に激しく同意。

また家族とは、役割合理性や経済合理性だけではないこともこの本から学んだ。

「その集団で最も弱いものを守るしくみ」

これが家族の意義だということ。

これですね。妙に腑に落ちるし、安心するんだ。泣きそうだ。

わたしはもはや結婚も家族もなんなのかよくわからない。

でも誰かと助け合って生きていくことから脱落したわけじゃない。

弱い人を助ける仕組み・目的だったら入ることができる気がする。

 

わたしは兄が二人いる3人兄弟の末っ子で、女の子で一番弱かった。

弱いとみなされる対象だった。だから家族に守られていた。

守られている代わりに、しかし女性が家の中ですべきこととされるようなことは要求された。

そして今は、兄たちよりも、もしかしたら両親よりも強くなった。

だからもう生育家族の人たちとも疎遠になりつつあるし、それに罪悪感を感じたりすることも減った。居心地が悪いのだから仕方ないじゃないか。

それと生育家族は典型的な家族にはまろうとして(見えない)ほころびがいっぱいあった家族だったが、その理由が一つ分かった気がしたのだ。

わが育ちの家族で最も弱い存在は、当時から、実は「父」だったのかもしれない。

そう思うことで、救われるエピソードがたくさんある気がしてならない。

 

「家族終了」酒井順子さん著。