ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

上田散策

 

「通りすがりのワイン好き」ことずんです。

7月某日、上田の街に散策に出かけた。

今年は7月初旬に猛暑が続き、突然梅雨明けが告げられたかと思ったら

また雨が降り続く日々である。

そんな中、貴重な晴れの休日を利用して、かねてから行ってみたかった

上田市街に出かけることにした。

中軽井沢駅からしなの鉄道に乗って40分ほどで上田に着く。

のだが、まず、いいですか、旅は鉄道からはじまっているわけで

中軽井沢から上田までのしなの鉄道って、本当に最高なわけですよ。

何がって、景色が。

雄大浅間山をのぞみながらガタンゴトンと3両ほどの電車が

緑うっそうとする中に、かわいらしい別荘が立ち並ぶ外国のような光景を

通り抜けていく。これが信濃追分、御代田あたりまで。

そこから佐久、小諸にかけては見事な田園風景ごしの、ドーン、浅間山

佐久は米どころでもあるので、美しい田んぼの光景が広がり

思わず「ただいま」と言いたくなる牧歌的風景。

小諸に近づくと並走してかわいらしい線路がみえてくる。

これは何かと鉄オタの夫にきくと「小梅線」と

そんなことも知らないのか常識だろうと言わんばかりの返答。

小諸の街は古い工場、古い駅前ビル、そして古いホテル

全体に古くてノスタルジックな雰囲気があふれている。

かつて賑わったであろう町の荒廃感が大変味わい深いのである。

そしてここから先、本格的な「田舎」風景に突入していく。

自然あふれる光景は、どんどん拍車をかけてゆく。

わたしの大好きな、思い出すだけでよだれが出そうな、

ワインの産地、東御市を横切っていくのだ。

田中駅で降りてタクシーに飛び乗って丘の上のワイナリーで

ランチがしたい!という衝動を押し殺して、下車はせず上田を目指した。

上田にはかねてから気になるスポットがいくつかある。

上田映劇、上田城、FICAというビオワインを扱うワインビストロ、

そして有名なルヴァンという天然酵母パンのお店

それから池上正太郎がこよなく愛した蕎麦屋、刀屋や

それからブックカフェNAVO、はすみファームワイナリーのアンテナショップ

岡崎酒造の酒蔵。

どんだけ魅惑的なの、上田市街。

ローカルフードの馬肉うどんも食べてみたい。やることがありすぎる。

 

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また来るよ。

 

【読書感想】アル中ワンダーランド/まんきつ/扶桑社文庫

まんきつさんという方が描いた

エッセイ漫画というのだろうか

そんな文庫を買った。

買ったのは上田のブックカフェNAVOというお店。

古民家を改装して2階まで吹き抜けて、所狭しと

本や文具や雑貨などがディスプレイされている。

ただ新刊を並べている普通の本屋と違って

ほとんど本のセレクトショップである。

どれも選び抜かれた本なので、なかなか全部目を通していると

進まない、店内を回り切れない。

とにかく居心地の良い店だった。

そこでちょっと舞い上がったのか

普段ほとんど聞いたことも飲んだこともない「ほうじ茶ラテ」

なるものを調子に乗ってたのんで、楽しんでいた。

そんなおしゃれで澄んだ空気さえ漂うお店で

わたしはなんとも人間臭漂うエッセイ漫画本を

笑いをこらえながら読みふけっていた。

それがこの「アル中ワンダーランド」

「アル中」はわたしの人生のテーマでもある。

お酒を飲んで人と語らう以外に楽しいことなんてあるのかと

疑わない46歳。まんきつさんも1975年生まれで同世代だ~

とうれしくなって本を手に取った。

ユー・トーキン・トゥー・ミー?

で、一気に引き込まれてしまう。

なに、このタッチ、テンポ、ぐぐぐ、やばい

この感じ、好きかもー

いくつかの他の商品と抱き合わせて、がっつりかかえてレジへ。

古本で650円が400円になっていたけど、100円の古本が並ぶ中

こいつは高値で取引されているってことだな。

つか、新品でも買ったかもしれないけど、ここで出会えたのも縁。

 

面白かった、面白かった

最初はただの面白おかしい自虐本だと思っていたけど

(それは確かに最後までそうだったようにも思うけど)

吉本ばななさんとの対談も含めて、

生きにくい女子の現実に対する克服方法の指南本でもあった。

まんきつさん、感受性豊かで、同級生にもいたタイプの女性。

しかし、彼女って自分のことどこまで客観的に見れているのか

不思議になってくる。こんな風に自分を表現できるのに。

面白いし、魅力的だし、本当に素なの?それとも。

 

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草刈りとBBQ

七月七日。

夕方中軽井沢の馴染みの飲み屋へ。

中軽井沢に飲みに行くときは、中軽駅の公営駐車場に車を停めて

タクシーで帰宅し、次の日夫がランニングがてら車を取りに行くのが毎度のパターン。

代行はあまり使わない。車を取りに行くという動機があって

運動にもなってよい、と夫。

この日は中軽井沢駅にすごい人だかりができていた。

お祭りでもやっているのかと思ったら、どうやら街頭演説があったらしい。

今週末は参院選の投票日だが、私たちは期日前投票を済ませていた。

演説もちょうど終わったばかりの感じだったが、警備も厳重であることが伺え

「これは大物が応援演説きたね。自民党か、誰だろうね。小泉進太郎とか?」

「いしばさんとか。いしばさんだったら見たかったね」

ただミーハーなだけの会話を繰り広げていた。

夫がどうしても気になったようでスマホで調べている。

「なるほど。麻生さんだったみたい」

「へ~、それは見てみたかったね」

ただ、これだけのたわいのない会話。

次の日、あんなことが起きるなんて予想だにしていなかった。

私たちはのんきにビストロバードでたんまりとワインをいただき

店員さんとの談笑を楽しんだ。

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七月八日。

二人してすごい二日酔いにさいなまれながらも

この日はマイクロソフトのチームをもっと活用して在宅勤務を

スムーズにできないかどうか、考える1日になった。

これでも自分はライン管理職であり、組織横断的つながりを促すチームのコーディネーターの任も担わされている。

そんな中、午後のニュースから元首相の安倍さんの襲撃事件が報道されている。

「これは大変なことだ」

夫はテレビにくぎ付けになっていた。

 

七月九日。

午前中は掃除をしたり、庭の草刈りをした。

汗だくになりながら、機械を使わず斧タイプのものや

はさみタイプのもので、地道に草を刈っていった。

刈るのも大変だが、刈ったものを集めて捨てるのも大変な作業だ。

ひとまず特大ごみ袋に3つ分を詰めてこの日の作業は終了した。

まだまだ詰めなければならない草は積まれている。

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お風呂に入って、ランチを食べに南軽井沢の緑友食堂という

ビーガンのパン屋さんでランチをいただく。

サンドイッチとスープとサラダのセット。すべてビーガン。

体によいことをしていると実感がある。

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土曜の混んでいるツルヤで食品を買い込んで、夜は炭火焼バーベキュー。

ホタテややきとりや野菜など、上手に焼いた。

中年二人のバーベンキューなので、串刺しにした肉を豪快に焼く

とか、そういうことはしない。

炭の火起こしもすっかりうまくなった。

火をおこすのは本当に楽しい。

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衝撃的なニュースとのんきな日常のコントラストだ、という話。

 

【読書感想】家族終了/酒井順子/集英社文庫

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家族に「普通」はありません。

背表紙の帯に書かれたこの言葉。

このことにもっと早く気づいていたら、もう少しうまくいったのだろうか。

選択を変えただろうか。

わたしには、ちょっとした心の闇がある。

 

わたしと酒井順子さんの基本スタンスはほぼ一緒。(おこがましいことに)

わたしは40代、酒井順子さんは50代で少し先輩ではあるけれど

同じように事実婚という形をとっているし、家族を従来型に形成することにこだわりがない。

しかしここに至る経緯は全く違うと言っていい。

やっぱりクレバーさの違いというか、かなわないというか。

この本は日本の家族問題を独自の視点で考察し、ご自身の経験とともに

その変容ぶりを鋭く切り取って、時に笑わせ、読んでいて痛快感さえある。

いつもありがとう、先輩。

オリーブの罠にかかり、アンアンの嘘にもすっかりはまったわたしにとって、あこがれの先輩。(ユーミンの罪は熟読中。)

 

先日の参院選自民党の圧勝で、家族の新しい形や多様性への対応がまた遠ざかった感があってがっかりしたが・・。

 

彼女はご家族を全員亡くされ、家族終了を目の当たりにしてこの本を書くに至ったということだ。彼女の家族観はいたってドライで、家族が終了したからといって悲壮感がなく痛痒を感じていない、という。

彼女は母や祖母などから、期待していた愛情を受けることができずに、少なからず傷ついていることがうかがえる。

わたしは家族、両親からはToo muchな愛情と締め付けを存分に受けて、まずは幼少期を過ごした。

そして彼女は生涯法律婚をせずに事実婚状態を継続しているようだが

わたしは一度法律婚をして、見事に脱落している。

「やってみなくちゃわからない」

チャレンジ精神にあふれているようで予測能力が低い私

「やってみなくてもちょっと考えれば分かるだろ」

という知能派との違いというわけだ。

しかし、わたしは離婚してもなお、自分の結婚への不適合性にしばらく気づけず、このバツイチによって人の道を全うに歩けなくなる、嫁失格、人間失格の烙印を押されたに等しいと思いつめ、傷ついていた。離婚を周囲に悟られたくなくて旧姓に戻すこともできず、今も縁もゆかりもない苗字を使用しているのが時々情けなくなる。

独身を貫くキャリアウーマンになるんだなんて20代のわたしは思ってもいなかった。

そもそも4流大しか出てなくて、やりたいこともなく、適当にITバブルに乗って就職したIT企業で働いたとて、一生一人でやっていくというほどこだわりも力も能力もなかった。

 

この本のすごいところはこうやって淡々と自分を振り返って、この本のように自分語りを誘導されるところか。

 

とにかく、ここ(現在の事実婚夫との穏やかな生活)に至る道のりは全く違うが、至った結論は同じだと思いたい。

わたしは離婚した後にいろいろと知ることになる、悟ることになる。

やらないで分かっていた酒井さんとは大違いなのだ。

 

わたしの結婚感としては、結婚という制度は、人間が未熟ゆえにそれを補う契約制度を設けた一法律だということ。あとはとにかく結婚制度というのは、役割が明確で説明も不要で摩擦も少ない合理的制度、ということになるのだろうか。乗っかっておけば楽で幸せな生活が待っている、と思っていた26歳の自分。

26歳で結婚したのは周りを見渡してもかなり早いほうだった。

少し本音をいうと生育家族から距離を置きたかった、あと恋愛とかがとてつもなく面倒に思えて、早く身を固めたかった。

 

とにかく役割が明確な家族制度の合理性を享受しながら

やっぱり自由でありのままの自分でいたいは両立できないのであった。

 

わたしはそれなりに楽しく自由に仕事もして嫁も務めていたつもりだったが、夫とその両親からはそうは思われていなかった。

どうやら務まっていると思っていた嫁の役割を果たしていないと見なされ、前夫とその両親総意で嫁失格の烙印を押されたらしかった。

そうはいっても大きなミスも犯していないので、話し合ってこれからすり合わせるとか、あるだろうと思っていたのだ。結婚って契約だから、そんなに簡単に解消できるもんじゃないだろうと。そういう価値観の違いも凌駕して、つなぎとめてくれるものだと思っていたが、それもお門違いだったのだ。

わたしってとことん馬鹿なのだ。

 

前夫の家族のことはめったに思い出さないし、一度、今住んでいる町からも出て行ってほしいとも言われたことがあるが、離婚を承諾する以外の要望は受け入れがたかったので丁寧に拒絶して当時と同じ場所に住み続けている(どんだけ嫌われてんだ・・)。また前夫に言われた最後の言葉だったと思う、

「会えてよかった。結婚も後悔はしていない。できれば友達に戻りたい」

こうなってしまうとわたしは結婚に後悔してないとは言えないんだよなー--。

いい経験をした、社会勉強になった、と割り切るには背負う傷が大きかった。

ただ、離婚を決断してくれたことには(自分ではできない決断だったので)結果的に感謝しなければならない。

 

さて、家族を形成することは全く否定していない。

新たな家族の形を許容すべし、とのこの本の結論に激しく同意。

また家族とは、役割合理性や経済合理性だけではないこともこの本から学んだ。

「その集団で最も弱いものを守るしくみ」

これが家族の意義だということ。

これですね。妙に腑に落ちるし、安心するんだ。泣きそうだ。

わたしはもはや結婚も家族もなんなのかよくわからない。

でも誰かと助け合って生きていくことから脱落したわけじゃない。

弱い人を助ける仕組み・目的だったら入ることができる気がする。

 

わたしは兄が二人いる3人兄弟の末っ子で、女の子で一番弱かった。

弱いとみなされる対象だった。だから家族に守られていた。

守られている代わりに、しかし女性が家の中ですべきこととされるようなことは要求された。

そして今は、兄たちよりも、もしかしたら両親よりも強くなった。

だからもう生育家族の人たちとも疎遠になりつつあるし、それに罪悪感を感じたりすることも減った。居心地が悪いのだから仕方ないじゃないか。

それと生育家族は典型的な家族にはまろうとして(見えない)ほころびがいっぱいあった家族だったが、その理由が一つ分かった気がしたのだ。

わが育ちの家族で最も弱い存在は、当時から、実は「父」だったのかもしれない。

そう思うことで、救われるエピソードがたくさんある気がしてならない。

 

「家族終了」酒井順子さん著。

【登山】志賀高原「焼額山」

志賀高原というと、とても個人的思い出になるのだが

高校生のときにスキー合宿に参加して訪れたところである。

関西人にとってスキーと言えば、志賀高原

バカのひとつ覚えみたいに志賀高原。長野と言えば志賀高原

長野までやってきてスキーなんて、なんて贅沢な旅ですか

と羨望の眼差しを向けられた。

来てみると、そこは巨大スキーレジャーリゾート。

普段見慣れない雪にも興奮するのだが、でっかい団体用の観光バスが

何台も連なって、トンネルに吸い込まれていく。

トンネルを抜けると三角屋根で白い壁のおしゃれなホテルが立ち並び

まるで外国に来たような別世界感に圧倒される。

そんな思い出がよぎる、志賀高原

ところが東京出身の夫は、志賀高原はまったく馴染みがないらしい。

東京の人はわざわざ群馬の山を越えたこんな遠くまでスキーをしに来ないのか。

スキーと言えば湯河原や苗場という感じなのか。

そんな思い出の、あこがれのリゾート地に日帰り登山にこれるようになるとは

わたしも大人になったもんだ。

 

さて、ここ中軽井沢の千ヶ滝から志賀高原へ日帰り登山の道のり(7/3日)。

まず国道292号線、すなわち日本ロマンチック街道草津方面に車を走らせ、

草津市街を通り抜けて白根山を横目に山道をひたすら走って

志賀高原プリンスホテルを目指す。

途中どえらい豪雨に見舞われ、こんな感じが続くようなら登山は無理かもね

と言いながら、まあ、ドライブだと思って登山口まで行ってみようか

とそんな感じで1時間半くらいで到着した。

一日雨の予報ではあるのだが、強い雨ではなくなっている。

午後に一時的にも雨が上がると、スマホのお天気情報は示している。

わたしたちはYahoo天気の雨雲レーダーに絶大な信用を置いている。

 

ということで登山決行することにした。

だいたい歩いたのはこんなところ。

昼ご飯休憩をいれて4時間、7kmくらいの道のり。

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誰もいない登山口。でも行ってみるよ。

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おお~視界がひらけた。

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山頂は以外にも湿地が広がるお花畑だった。

ある程度雨に打たれながらも、無事予定した工程を歩き終えて

志賀高原からバスに乗って、車を停めた場所まで戻ってきた。

 

登山の後はもちろん温泉。待ちに待った白濁の硫黄温泉、硯川温泉。

草津や万座やここ硯川温泉付近を通ると、

硫黄のにおいが車内にまで漂って、心が高ぶる。

キターー、卵が腐った匂いだ~とかなんとか言いながら。

写真は硯川ホテルのサイトより。

 

天然温泉掛け流し硫黄泉、乳白色から緑白色に泉色
白いカスのような湯の花が舞う。

雨に打たれて冷え切った体にきゅっと熱めの温泉が身に染みる。

最高の泉質。最高の匂い。
決してきれいで新しいとは言えない施設ではあったけれど
硫黄のよって変色した蛇口がたまらない、年季の入った温泉だった。

 

帰りは万座から嬬恋を通って軽井沢のほうに下りてくるルートで帰宅した。

温泉の硫黄のにおいは体に染みついて、翌日まで続いていた。