ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

人の悩みは酒の肴?

今日はまっすぐ帰ってたまるかと、銀座におります。

違う、ここは有楽町だった。

(銀座と有楽町を一緒にすると、地理おたくの夫からきつく注意されます)

昔はよく残った人を誘って飲みに行ったりしていた。

昨今は、飲みに誘うのも簡単ではなくなった。

コロナもあるけど、食事の誘いは一種のパワハラでもあるというのが

ここ最近のハラスメント研修で学んだことだ。

そういうわけで、ひとりで飲んで帰ることも板についた。

 

ツイッターに貼られた「友達に絶交された」という悩み相談の記事を読んで、

軽く、あいたたたたたたたたたたーー、となっています。

「よかれと思って」というキーワードもこういう悩みの人の頻出単語。

あいたたたたたたた。

あいたたの理由は、自分を見ているよう、だからだ。

人の悩みとか、かわいそうな境遇とかが酒のつまみであります。

語りたくて、何かいいことが言いたくて、さすが、とか思われたくて

悩んでいる人からネタを探すのです。

弱っている人は、そんな新しい見解やクレバーな意見に

なんか尊敬の念を抱いたりする。

それをいいことに優越感を感じて

「え?そんなことも知らなかったの?」みたいな。

わたし、何様!!

そんな、いきっていた自分にあるときから嫌気がさして、

人の悩み相談でお腹を満たすのはやめよう、となりました。

今も悩める人たちは周りにたーくさんおりますが、

できるだけ黙って聞いていることに努めています。

時には悩みを拾って一緒に解決しようとしたこともありました。

しかしほとんど結果的に空振りでした。豪快な空振り。

だから一生懸命やっている周りの人には静かに手を差し伸べながら、

おせっかいはせず、出る杭にならないように

(打たれることを恐れているのではない、空ブルことを恐れている)

ここで満足しよう、と。もうこれ以上口を出すな。

一時の優越感に浸る快楽に溺れるな。

 

悩める人も、そしてわたしにも、必要なのは尊厳。

存在を無視されることやなかったことになるのが、まあキツイ。

どんな場所にいても、あなたがいてくれてありがとうとか

助かっています、ということがないと

やっていくのが、ちょっとしんどいのかな。

だからその尊厳だけ、補充する言葉なりをかけてあげればよし。

具体的解決策なんて、さほどみんな求めてないんだから。

 

いずみん@おせっかいを卒業

 

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有楽町。あそこの果物屋さんはなくなったのね