ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

親知らずを抜いた痛みについて

今更ながら、親知らずを抜いた。

ちょっと絶句するくらい痛い。

これは、目先の恐怖を後回しにしたツケかもしれない。

今日は抜歯だと、歯医者に行くまでの時間が最も憂鬱だ。恐れおののいている。

 

歯医者に着く。受付をする。名前を呼ばれる。

そして抜歯は完遂される。

 

今、痛みに耐えている時間が続く。

麻酔が切れかけているのを感じる。

飲み薬の痛み止めも飲んだ。効いてくるはずだ。

しかし、一向に痛みはおさまらない。

血の味と、詰め物の消毒液のような苦い薬の味のなにかで

唾液の分泌も止まらず、飲み込んだり、そっと吐き出したり。

痛みに耐える。しかし、この痛み、痛いが痛くない。

炎症を起こしてるその部分が、自己主張している。

あまりの刺激に踊りまくっている。痛いけど、少し楽しい。

痛みにおびえていた、しかし痛みといざ対峙すると、なんか楽しい。

痛いという想像は怖いのに、痛みそのものは何も怖くない。

そう思った。

もしかして、子供を産むのもこういう感じなのかも、と想像した。

痛みに耐えているだけなので、そんなことを考える以外何もできない。

死ぬほどの痛さと苦しさ、しかしどこか快感がある。

親知らずを抜いたことと出産を一緒にするなんて

大きく出たなと我ながら思うけど、

出産を経験してないわたしは、奥の歯がまるで

産み落としたわが子のようにも思えてくる。

これが女という性が本能的に備えている

痛みに対する「ずぶとさ」なのかもしれない。

とかなんとか。

 

ずきずき痛む奥の歯茎、その下の骨、神経が

自分の存在を主張している様を

わたしは100%受け止めている。