ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

【連載小説】女友達 第2話

最初サロンは赤字が続いた。ネット集客にも力を入れて二年くらいすると収支はとんとんになっていた。三年目には軌道に乗って利益も出始めた。彼女が辞めると言ったのは、これでなんとかなりそうだと思った矢先だった。他の人を探してサロンは続けるということを試みた。しかし明らかに潮時がきた。
そして紆余曲折、嘘八百の事業計画で追加の融資も受けたが、それは店をたたむための資金であり、借金が覆いかぶさった。それから六年くらいだろうか、二〇二一年それも遂に返し終えた。返し終えても、うれしくもないし、達成感もそれほどなかった。

彼女のことを思い出す。
今となっては消してしまいたい恥ずかしいやりとりが、先ず第一に思い出されるのだ。
「わたしのことを家族だと思って。とにかくお金のことは気にするな。きっとうまくいくから。というか、うまくやろう。なんでも言いたいことは言って。」
というようなことを、少し感極まって言ったと思う。いつもこのことが当時の青臭くて薄っぺらい自分を見事に象徴していて、恥ずかしさと後悔と自己嫌悪で心がつぶされる。しかし、わたしはその痛みを時々確認するように、まるで強打した後のあおたんを指で押して、そこに傷があることを確認するように、少しだけやみつきになってあおたんを強めに押すように思い出すのだ。
「一緒に店をやるなんて、やめたほうがいい。友情が壊れるよ。」
そう助言してくれた大人もいた。しかしわたしは、当時から友情が壊れることに恐怖を感じたことはなかった。信じて疑わなかったのもあるが、もともと、わたしは彼女との間に「友情」というものを見出していなかったのかもしれない。時々世間一般が言うところの友情ってなんなのか、分からなくなるのだが。
彼女との出会いにも起因している。彼女は元カレの元カノだった。元カレと言っても大学の同級生で友達の延長のようなつきあいだった。よって別れた後も仲の良い友達グループの一員で、それこそ姉弟のように、ののしりあって戯れていた。その元カレのカノジョとして彼女とわたしは知り合った。二歳年下で礼儀正しく、わたしたち大学生と違ってもう仕事をしていたので、よほど大人っぽかったのだが、妹のようになついていた。それから二人が別れてもなんとなく交流は続き、いろいろ大変なときに、わたしの家に住まわせていたこともあった。
世間一般が言うところの友情。多分、友情とは、ただ相手のことを思いやり、相手の幸せを願い、干渉しない、ということだろう。そして相手が間違っていたとしても味方になること、認めてあげること、それだけでよい。いやむしろそれ以上手を出すな。それが友情で合っていますか?
わたしはその精神的つながりをもって美徳とするような高貴な考えを持ち合わせていなかった。働きかけて影響を与え合う、また必要ならば手を差し伸べて「具体的に」助けることこそ、真の友情かのように思っていた。しかし、このようなわたしの性質は周りの人間もよく知るところだったろう。だから、今わたしにはこまめに連絡を取り合い、たわいのない話をして、本やCDを貸し借りするような友達はいない。茶飲み友達もいない。
高くそびえたったプライドとキャリアを鼻にかけた生活ぶりと、そして友情の意味をはき違えているぶりは、多くの人も知るところなのである。感じとっているところなのである。普通の女友達を求める人たちを遠ざけているのである。友達ができない理由なのである。

つづく