ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

【連載小説】女友達 第1話

今はもう、いっさい連絡をとらないかつての「女友達」がいる。こんなにSNSが普及して、共通の知り合いも多くいるし、どんなに情報を遮断しても、うっかり彼女の現状などを見聞きしてしまうものだろうと思うのに、しかし全く情報が入ってこない。あんなに色んなことを一緒にやったのに、一緒に暮らしたこともあったのに、忽然とわたしの人生から姿を消した。

二〇二一年はコロナの影響で奇しくもオリンピックイヤーとなった。日本政策金融公庫に借金を返済しつづけているわたしは、返済完了の年をオンピックイヤーと重ねて考えていた。返済完了は二〇二一年五月。オリンピックが延期される前は、オリンピックが終わっても私はまだ借金を払い続けているんだなあと、オリンピックを目安に歩んできた感がある。オリンピックが一年延期されたことにより、借金完済の年と重なり、何かの節目になった。
過ぎたことをあれこれ考えない性質(たち)である。事業を始めた時も、いつか終わることは念頭に、自分が責任をおえる範囲を超えないこと、それだけは気を付けていたから、その友達がお店を辞めたいと言ったとき、頭の後頭部をバットで思い切り振りかぶってフルスィングで殴られた衝撃はあったが、いろんな気持ちと想像される原因とか、自分の落ち度とか、そもそもなんでこれを初めてしまったのだろうか、とか、全部一人で飲み込んだ。人にぶちまかすことができなかった。夫にも親にもその他知り合いにも。それは、わたしのプライドでもあり意地でもあった。だから弱っているところは見せられないし、見せたくない。それに責任をおえる範囲は超えていないのだから、一人で処理できる、それだけが心の支えのようになっていた。

お店を持って独立したい、そんなことを言ってきたのは彼女からだった。スタイリストとして一〇年以上のキャリアを持ち、腕がよく、お客さんも多く抱え、向上心も高かったので機が熟している感じだった。でも元手がない、どうやってお金を借りていいかも分からない、経営ということにはまったく疎かった彼女に、会社にして融資を受けてみるのはどうだろうか、そう言ったのはわたしだった。事業計画を作って、融資を受けて、きちんとキャッシュを回して運用するというのには昔から興味があったので、その部分はわたしがやるから一緒にやってみるかと言った。とんとん拍子に店が完成した。表参道の古いアパートの一室をプライベートサロンに改装した。とてもよいサロンだった。コンセプトを打ち出して、事業計画をうまく書いて、キャッシュフローのシミュレーションをして具体的数値計画を示して、希望額の融資を満額受けることができたのはわたしの成果だった。また、アパートの一室に受付やシャンプー台、機材などを収納する棚、お客様用の椅子と鏡の設置場所を小気味よくデザインしたのは彼女の成果だった。こじんまりとしていたが、清潔感があり、作業動作がよく計算され、収納に優れた棚のおかげですっきりとモノがなく、貸し切りのようにくつろいでいただけて、子連れ客や流れ作業でたらいまわしにされる大きなサロンが苦手という方に向けてオープンしたのだった。

つづく