ずんの日記

毒にも薬にもなりませぬ

社内メールのルール化

会社でメールのルールを考えさせられるチームにいます。

確かにテレワークになって、メールがやたら飛び交うようになって

メールの重要性が高くなった。

 

ルールとは例えばこういうものだ。

挨拶やビジネス定型文は不要

1メール1要件

TOやCCの使い分け(むやみに全員返信しないとか)

土日祝日深夜メールは緊急時のみ

などだ。

はっきり言って、わたしは言われるまでもなく全部やっていて、

今更ルール化の必要性はあまり感じていない。

 

しかし、ここに至ったのは確かに時間がかかった。

少し自分のメール遍歴を振り返ると、

入社当初はわたしのメールはとにかく長かったと思う。

長文メールを先輩や上司にこれみよがしに送りつけていた。

おそらく自己顕示欲の一種だったと思う。

こんなプロセスを経て、こんなことを考えたわたしを知って!

という。

それも程なくして意味がないということを知り、

今度はビジネスお作法に乗っ取ること至上主義として

心にもない定型文を使いまくって、

仕事ができる風自分をアピールした。

でも、それもそんなに求められてないし、やってて飽きてきたところに

英語メールに出会う。

必要最小限至上主義の幕明けだ。

まず、お疲れ様です、とかお世話になっております、もない。

I hope you are doing well.だ。これも別に書かないけど。

そしてやつらはちまちま改行をしない。

ひと息に言いたいことを言いきって終わる。

1つのメールに2つ以上の要件をあまり書かない。敬語もない。

考えてみればこれで事足りるじゃん、てなる。

そして英語メールはそのまま日本語メールに伝染した。

もう目上の人や社外の人に送るには失礼かもしれないくらい

シンプルなメールしか書かなくなった。

またつたない英語力の言い訳として

「英語なんて伝わればいいんだ」

という開き直りが、シンプル至上主義に拍車をかけることになったのは否めない。

その頃は、やたらと丁寧にメールを書いている人などをみると

こんなことで評価されようなんて、と心の中でさげすんでいた。

 

まあ、しかしメールというものは書き手と読み手の双方の認識が一致してこそ

効率的なコミュニケーションとなるわけで

わたしみたいにマイブームでスタンスをころころ変えるのも

ビジネスマンとしては失格だったんだろうな。

 

仕事はつまらないから合理的に無駄なく終わらせたいけど

基本的にこうやってブログを書いているように

あるある言いたい

言いたいあるある

あるある言わせて

というのが人のベースにあって、長文メールも情緒的な文章も

人間らしくてよいではないか、と結局マイブームは一周していたり。

だから最近はどんなメールを見ても楽しめるようになったかな。

変にルール化して、皆さんの個性がなくなるのもちょっと寂しいかも。

 

いずみん@先輩の長文メール好きですって後輩に言われたこともあるよ